奇跡の復活、2079
最近ちょくちょくなとりん号のことを書いているんですが、そのなとりん号の中でちょっと特別な存在のバスがいます。
コミュニティバスとは思えない大型車体。
約11メートルもある巨体。極めつけはホイールベースが5.3メートル。
宮城200か2079、三菱ふそうエアロスター。KC-MP747M。
元横浜市営バス港北営業所 7-2566号車。
コミュニティバスという括りの中でも特異な大型車導入だったりするのですが、自分の中でもちょっと特別なことも。
私の生まれた年月と同じ、1998年2月製造だということ。
同級生でもあって友達でもあるんです。出会いは高校生の頃なんですが。
そんな友達と信じて、2079のことを彼と呼んだりするかもしれません。
2079、というか彼は1997年度の新車として横浜市営バスへ納入。
7-2566という社番が与えられます。
February 2 -本日の撮りバス- ( その他乗り物 ) - ももたろうくんと横浜市営バスのブログ - Yahoo!ブログ
7-2566末期の姿が映るブログを紹介させていただきます。
この後、2011年内に除籍されたようです。
そして桜交通へとやってきたのが2012年。
導入直後は中学校の生徒輸送にその大型の力を発揮する…と思われたのですが、
まさかの道路事情により走行困難と判明。
運行に使用できないと分かってしまった彼は、しばらく営業所で放置されてしまいます。正直なぜ買う前にもう少し考えなかったんでしょうか。
そんな彼に転機が訪れたのは2013年に入ってから。
宮城交通が閖上線からの撤退を表明したこと。そしてなとりん号へと移管されるということ。
そして2013年4月、遂に2079が閖上線で運行を開始したのです。
1年ぶりに彼の仕事場ができたのです。
そんな2079が閖上線で走る中、出会ったのが2014年6月でした。
私は当時高校1年。つい2か月前になとりん号というものを撮った私としては、
「なんだこいつ見たことねえぞ」という感じ。
乗務員さんに話しかけ、写真を撮って2079に初めて乗った、撮ったのもその時でした。
私以外の乗客がなく、ただひたすら東に向けて走り続ける2079。
そして閖上の待機時間に乗務員さんとつかの間の世間話。
また帰りも同じく私と運転士だけを運ぶ2079。
ただ運転士と話すだけ、そして2079に乗るだけのなとりん号ライフを半年ほど続けていました。
その年の8月末、仲の良かった運転士さんが最後の乗務の日。その日も2079でした。
待機中のほかの乗務員さんも集まって車内で再就職先へのプチ激励会。皆でコーヒーを飲んだのも2079とのいい思い出だったりします。
さらに私はなとりん号へとどんどん没頭していく日々。
少しづつ復興していく閖上を走る2079。何事もない日々が続いていきました。
しかし不運にもまた彼に試練が訪れてしまったのです。
「奴ら」の登場でした。2015年7月のことでした。
ダイヤ改正前にやってきたこのレインボーHR達。純粋に予備車を増やすために導入されたのですが…
2015年11月に走り出すや否や、2079の仕事を奪い去ったのです。
(2016.07.14桜交通仙台営業所)
彼は失職したのです。そしてまた2012年のように車庫で何もせず過ごす日々が再び来てしまったのです。その期間なんと11か月。
営業所を訪れるといつもほぼ同じ位置に止まっていた2079、何か月と動かされない時期もあったのでは。
そして2016年10月13日。営業所へと赴いた私はとんでもないものを目にしてしまいます。
(2016.10.13 桜交通仙台営業所)
動いてる。ほぼ1年ぶりに。
そして営業所の人の口からとんでもない発言が飛び出します。
「今日走るよ。」
気づいたら名取駅でカメラをもって立っていました。
(2016.10.13 名取駅前)
2079がほぼ1年ぶりに路線運用復帰。動いてる姿を見たのは1年半ぶりくらいでした。
この日は小型車が故障で全滅して仕方なくの代走だったそう。翌日はまたRNが走っていました。
この後も2017年6月にかけて数回の運行だったそう。9か月で数回なあたりどうしようもありません。
(2017.06.13 桜交通仙台営業所)
この日も運行入り。出庫点検の真っ最中。
「おー今日も走るのか。」そう呟いて写真を撮っていたのですが…
これが私が最後にみた走る彼の姿でした。
この4か月後でした。
LINEでバスオタク界隈のある人からURLとこんなトークが来ていました。
「桜のエアロ売りに出されているよ」
血の気が引きました。
恐る恐るURLをクリック。開かれるブラウザ。読み込まれたページには。
正直違うエアロスターであってくれと願っていました。
見覚えのある場所。方向幕のコピー用紙。そして中ドアの破損箇所。
ビンゴです。2079だったのです。
遂に終わったな。と。
このバスはどこまで不運なバスなんだろう。
居ても立っても居られなくなって、彼の姿を見に行ったのです。
(2017.10.18 桜交通仙台営業所)
彼がいたのは営業所でも廃車を置いておく場所でした。
特に変わらないような。けどなにかやつれてるような。
もちろん会社の経営上、さらに車検とかの費用上仕方がないことなのです。
使わないバス持っていてもただお金が無駄になるだけですから。
バスとしてもちょっと特殊なものなので国内で走ることはないでしょう。
行くとしたら東南アジア諸国。輸出されて新天地で走ることになっていたでしょう。
つまりここから消えたらもう一生会えないかも知れなかったのです。
掲載されていたページを日々確認し、定期的に車庫にも通い。
彼がいつ居なくなるのか、その日を確認したかったのです。
いなくなるのは見たくない、けど最後にお別れはしたい。そんな心理でした。
ここまでこんなにも不運だった2079、遂に奇跡が起こるのです。
2018年3月12日。ダイヤ改正を控え、中古車導入ラッシュのさなかの営業所へと赴いた日。
この日は中古車の前所属などを調べるつもりの日だったのです。
一通り中古車の確認も終わり、高速バスも撮っておこうと思ったその瞬間でした。
(2018.03.12 桜交通仙台営業所)
帰ってきた。廃車置き場から。
彼が帰ってきたのです。驚きを隠せない。一体何が起きるのか。
運転してきた整備士に話を聴いてみたのです。
「4月からまた走るかもよ。」
奇跡が起きたのです。
あそこまで不運だった彼が、また仕事をするチャンスを得たのです。
(2018.03.12 桜交通仙台営業所)
どうして車庫へ帰ってきたのかというと、4月から走るために車検を取得するため。これからまた1年走れるようになるのです。
そこから2週間。
(2018.03.27 桜交通仙台営業所)
彼は、遂に奇跡の大復活を遂げたのです!
車体は高圧洗浄、ホイールも再塗装され、さらに幕までも復活。
私が見たかった理想の2079として私達の前に現れてくれました。
なんだかんだで4年間も撮り続けた彼が、これだけ綺麗な姿になったのを私は初めて見たのです。
嬉しい限りなのです。
そして明後日がなとりん号ダイヤ改正。
2079は、彼はまた予備車としてだけれども、なとりん号に帰ってきたのです。
2079の走る姿がまた見れれば、私はそれで満足なのです。